私のバイク遍歴(11) 限定解除試験場の雰囲気
ここで、昭和某年あたりの、限定解除試験場の雰囲気について書いてみたい。
なぜそれをわざわざ書くかと言うと、これから限定解除試験が始まる場の雰囲気とは、一種異様なものだからである。
私はそれまで、あのような異様な雰囲気の場に身を置くことはなかったし、今後もないだろうと思う。
まず、最初から最後まで、ほとんど誰もが無言である。おはようも言わない。笑いもしない。皆、どことなく悲愴な顔をしている。
昔乗っていたCB750FAの実車
朝、試験控室に行くと、ある者は壁に貼ってあるAコースBコースの図面を穴が空くほど凝視していた。またある者はベンチに座って、壁を向いて煙草を吸っていた。
無言 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
部屋全体が、沈黙、無言、寡黙、緊張、不安、焦燥、諦観・・・などの言葉で埋め尽くされているのかのよう。
結局、私は最後の最後まで、この限定解除試験で、全く誰とも会話しなかった。合格者が出ても、拍手も「おめでとう」もなかった。
私も含めた全員、ここでは自分が合格する以外のことに関心がなかった。
それほどに「限定解除」という言葉は、この時代のバイク乗りには特別な響きがあった。
免許証の裏書(裏に「限定解除」というゴム印を捺された)を見せれば、バイク乗りなら誰もがひれ伏し、尊敬の念を表し、『王者、王様、選ばれし者、神、師匠・・・』そういう類の意味を持つ全ての言葉があてはまる存在になれた。ただし、バイクに乗っている間のみ(爆)。
馬鹿みたいだが、本当にそんな時代だった。
この後、試験前にコースを歩いて下見をする。
それが終わると、いよいよ試験官が3台のGSX750E1に乗って現れる。その光景を見た全員は無言で起立し、「今日こそは」という情念の炎を燃やすのだった。
(上記内容は筆者の個人的感想であって、どの試験場にも当てはまるわけではありません)
続く・・・
| 固定リンク | 0
「私のバイク遍歴」カテゴリの記事
- 私のバイク遍歴(63) 私は覆面パトカー隊員から人生で大切なことを学んだ(2023.11.04)
- 私のバイク遍歴(62) 限定解除試験合格の裏話(2013.11.23)
- 私のバイク遍歴(61) 白バイ隊員との邂逅(2012.05.19)
- 私のバイク遍歴(59) バイクのある人生(2011.10.06)
- 私のバイク遍歴(57) 思い出のZ2(2011.06.05)
コメント
いちごさん こんばんは
確かに、限定解除は“神”でした。
ただ、私の時は年齢が18に引き上げられていたため、
ついつい4輪へ・・・
そして42で大型取得
免許の更新時期が近づき、単に更新だけせず
大型二輪の試験を受けて合格しました。(2回)
2回で1万円弱なので、更新するよりは少し高くつきましたが、
楽しみができて良かったです。(^_^)v
限定解除時代より、はるかに合格し易くなっていることは確実です。
投稿: エボる | 2010年1月 9日 (土) 22時51分
いちごさん、こんばんは。
私の場合、教習所に行くお金がなかったので、小型→中型→大型と試験所で取ったのですが、その時でもまさにおっしゃる通りの雰囲気でした。
当時の大阪のコースは出発してすぐに一本橋とスラローム、小回転があり、出発してすぐに一本橋で落ちてコースに出ないで終わり、なんてこともありました。そんな時は流石にへこみましたが(笑)
投稿: やんべ | 2010年1月 9日 (土) 23時40分
私が限定解除に通っていた頃、栃木県は
非常に難しかったですね。
兄の頃は更に難しく平均50回くらいでした。
10回くらいは完走しても中止扱いで
点数が出ればいいほうでした。
県外に住所を移して取得する人や、逆に
県外から挑戦に来る人がいました。
更に100回を越えて”キング”と呼ばれる
人がいたくらいです。
当時の栃木の受験者は情報交換を行い、合格した人は
後日、待合室の受験者に差し入れをしていました。
私は合格率が少し緩和されて29回目での合格でした。
差し入れは缶ジュースを箱買いして配ったのを覚えています。
おかげで今でも免許証が私の宝物です(^∀^)v
投稿: 230 | 2010年1月10日 (日) 01時28分
いや~、緊迫感が伝わってきますね。
みなさんのコメント読ませて頂いても、どきどきしてきます。
教習所での卒検は緊張しましたが、その比ではなさそう....。
ほとんどが合格しますしね。
コースはその日のうちに覚えるんですか?
教習所では、前からコースを教えてもらって、覚えてたけど。
2コース選択は一緒ですけどね。
投稿: おくさん | 2010年1月10日 (日) 08時41分
エボるさん、こんにちは。
>限定解除は“神”でした。
試験が選択の余地なしでしたからね。苦労しました。
2回で合格ですか、いいですね。でも更新時に取るなんて、かしこい方法です。
42歳というと、私はリターンしようかと思い始めた頃でした。40過ぎると、乗りたくなるんでしょうか。
投稿: いちご | 2010年1月10日 (日) 11時46分
やんべさん、こんにとは。
>小型→中型→大型
当時の王道ですね。もっとも堅実な方法かと。
>すぐに一本橋とスラローム・・・コースに出ないで終わり
すぐの課題はきついですね。茨城では、最初外の周回路を回って、その後課題でした。
が、小回りもありました。コケる人が多かったです。
私は急制動で苦労しました。
投稿: いちご | 2010年1月10日 (日) 11時49分
230さん、こんにちは。
>平均50回くらい
>10回くらいは完走しても中止扱い
>県外に住所を移して取得する人
>県外から挑戦に来る人
栃木凄! の一言ですね! すさまじい世界!
>更に100回を越えて”キング”
恐ろしい世界ですね。100回超の根性も素晴らしいです。
キングは、結局受かったのでしょうか。でも100回ということは、ライテクが・・・・。
>受験者に差し入れ
茨城ではなかったです。まさに「戦友」ですね。
>29回目での合格
いやぁ、お疲れさまでした。
私も宝物です。大事にしないと。
投稿: いちご | 2010年1月10日 (日) 11時54分
おくさん、こんにちは。
限定解除試験では、女性は1人も見ませんでした。
>その比ではなさそう....。
はい、真剣勝負です。
>ほとんど合格しますしね。
こっちは、ほとんど合格しません(笑)。
コースは、ABの2コースあって、ずっと確定です。最初は覚えるのが大変でしたが、走ればなんとかなりました。
今でも「茨城 大形二輪 コース」などで検索すると、載せているページにたどりつきます。
投稿: いちご | 2010年1月10日 (日) 11時57分
いちごさん こんばんは!
私は、限定解除ではありませんので、ココまで緊張感はありませんでしたが、判る気がします(笑)
今でも、免許センターに通った5カ月は、忘れられません!『何か煮えきらない、モンモンとした日々』でした。でも合格後の充実した日々で取り戻しましたが(爆)
私の場合は、合格した人には、話しかけアドバイスを聞いたりしていました。 さすがに落ちた人には声を掛ける事はできませんね(笑)
投稿: オヤジの道楽 | 2010年1月10日 (日) 22時40分
オヤジの道楽さん、おばんです。
>ココまで緊張感はありませんでした
この緊張感は凄いものでした(笑)。今となってはほんと、笑い話ですが。
>5カ月
私は1年通いました(爆)。
>合格した人には、話しかけアドバイスを
当時そういう人はいませんでした。プライドだか見栄だかがあったのだと思います。
異様な世界でしたよ。
投稿: いちご | 2010年1月11日 (月) 23時39分