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2010年1月23日 (土)

私のバイク遍歴(18) 限定解除試験とは何だったか

(続き)
自分の試験が終わると、最後の受験者が終わるまでは、することがない。
煙草smokingを吸ってみるが、頭の中は試験の内容をしきりに反芻するから、目では走っているバイクを見ていても、頭には入ってこない。だから無声映画movieのよう。
一番気になったのは、赤信号signalerでの右折だった。他が上手くできただけに、やたら気になった。

全ての受験者が走り終えると、試験官は管制塔buildingから下りてきて、少し待つように話し、建物に消える。採点をしている間、受験者はホールで待つが、ここでやっと、いくらかの雑談が聞こえる。
30分ほどしたのち、ホールに試験官が登場する。

全員固唾を飲むdash

え~、今日の合格者は2名。○さん、それからいちごさん

Pict0021

「上手かったもんなぁbearing」という声が聞こえたのを覚えている。
拍手もない。「おめでとう」もない(私もここでは言ったことがないbleah)。50名中、合格者は2名だけだった。全6回中で見た合格者は、10人にも満たなかっただろう。                              

                                                    

それにしても、この当時の自動二輪免許制度とは、一体何だったのか。一般の人が普通に受ける試験で、合格率が一桁などというのは、他に例がないと思う。
私が見た範囲で言えば、受験者は50人×6回だから、延べ300人。合格者を10人とすると、合格率は10/300=3%である。

しかも6回のうち半分ぐらいは、合格者は0だった。

Pict0005

制度には、それに至った経緯があるのは分かる。また、その渦中にいる間、それを客観的に見ることはできない。しかし、長い歴史のあとで振り返ると、失敗だったとか行き過ぎだったという反省を込めて語られるものが、必ずある。教育制度、公共事業などの中にも・・・。
この免許制度も、そういう類の一つではなかったか。

それでもまだ、この県は易しかったのかもしれない。スタンドを上げずにまたがったら即不合格ということもなかったし、受験回数が3桁という人もいなかった。

難しい分、合格するのは栄誉だったが、いつ受かるのか見当もつかない長いトンネル、まさに大型バイク暗黒時代newmoon、できれば経験したくない世界ではあった。

続く・・・。

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私のバイク遍歴」カテゴリの記事

コメント

いちごさん こんばんわ

一連の記事拝見しました。
当時、私はバイク雑誌ばかりを眺めているだけの学生でしたが、どの雑誌にも限定解除物語的な内容の記事が多く見られましたね。
またそれらは限定解除がどれだけ大変なのかを物語るものでした。
諦めた方って多かったですよね。
何でそんなに難しい?
と思いますが、それをクリアして限定解除したいちごさんを尊敬せずにはいられません。

投稿: GAZZY | 2010年1月23日 (土) 23時01分

GAZZYさん、お読みいただきありがとうございます。

長いトンネルを抜けた気分でした。本当に嫌な時代でしたよ。
記事にも書きましたが、今が正常で、当時は異常だったと思っています。

まだ10回以上続きますので、お読み下さいませ(笑)。

投稿: いちご | 2010年1月23日 (土) 23時51分

いちごさん、こんばんは。

ついに合格しましたね。おめでとうございます。!
今回拝見していて、自分もいろいろ思い出す事が多いです。

1次試験は、試験が終わるとすぐに試験管の窓口に行って合否通達と同時に免許証を返却してもらい、不合格ならすぐに帰りました。(みんなが終わるまで待つことはありません)都道府県によっていろいろ異なるのですね。

合格の場合は、「1次は合格なので、2次まで待つように」と言われ、1次試験が全員終わってから2次試験開始でした。(2次は、波状路など、課題が主)
2次試験は、試験管がバイクでついてきてチェックされます。課題ごとに止まって、何やらメモされて・・・。

あと、もうひとつ思いだしたことが・・・

自分はちょうど20年前に合格したのですが、その時の教官(試験管)は、女性の方でした。ベテラン女性試験官!といった感じでしたが、今思うと女性の試験官ってあまり聞かないなぁ・・・と。これって珍しいのでしょうかね。


投稿: やんべ | 2010年1月24日 (日) 00時24分

おはようございます。いや~“限定解除組”の皆さんは尊敬しちゃいます。当時、私ももちろん大型に乗りたかったのですが、どうせ受かりっこないと勝手に決めてオフ車に逃げていました。今考えると何故、一回もチャレンジしなかったのか不思議なんですが・・・。
教習所で免許が取れなかったらもう、単車自体を降りていたでしょう。“限定解除”・・・。響きが良いですね。羨ましい・・・。

投稿: ガン | 2010年1月24日 (日) 07時13分

やんべさん、ありがとうございます。

大阪は、1次と2次があるのですか、それはかなり違いますね、というか初耳です。
が、試験官がついてくるだけで緊張しそうです。

それと、ベテラン女性試験官! いいですね(爆)。これも初耳です。
少なくとも受験者では女性を見たことがありませが、試験官でいたとは。驚きです。

投稿: いちご | 2010年1月24日 (日) 19時01分

ガンさん、おばんです。

>尊敬しちゃいます。
時代が悪かったのです。でも、めげずにチャレンジしたわけです(笑)。

が、オフ車で基礎をみっちり訓練することはとってもいいことだと思います。私はオフの経験があまりないので、「ズリッ」といくとビビリまくりです。

今単車に乗っているのですから、これからも楽しみましょう。

投稿: いちご | 2010年1月24日 (日) 19時04分

6回目ですか~
やはり上手な方はスタート時点から違うのでしょうかね!?
今の時代の一発試験でも、自分だったら何回かかったのだろうかと
考える時がありますが、途中で挫折していたかもしれませんね…
遅咲きなりに練習に励みます。。。(笑)

投稿: haru | 2010年1月24日 (日) 22時24分

haruさん、おばんです。

>上手な方
あの時は、不意を突いてカッ飛んだから速く見えたのですよ(笑)。
私はノーマルもいいところのライダーです。

>練習に励みます
お互い頑張りましょう。若くないですから(笑)。

投稿: いちご | 2010年1月25日 (月) 22時16分

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