« 一本杉峠を往く | トップページ | ソニー・ロリンズ »

2012年6月 8日 (金)

カナリア諸島にて

「ねえ、バイクに乗せて

そう言ったのは、ナースのSだった。
回りには人がたくさんいて、それが密やかに発せられたお願いでないことは明らかだった。
「ええ、おまえが」と私は言った。
今まで、意識したことのないSから、唐突に言われたからだ。

Sは、快活な性格で、笑うときは大声で笑う。髪はショートカット。
あまり女として意識しないというか、対等な関係で何でも言える。そんな間柄だった。

逡巡している私に、Sは続けた。
「いちごのはナナハンだよね。ナナハンに乗りたいの」

Img_12093
写真は1300です

 

「・・・」
「どうせ、乗せる人いないんでしょ。わたしが乗ってあげるから」
「あげるからって、そんなこと言われて乗せる必要はないさ」
「嘘よ。でも、バイクの免許を取りたいの。だから、どんなもんか知りたくて」

その場は逃げたが、Sは私の顔を見るたび繰り返し迫り、それは1ヶ月に及んだ。つまり1ヶ月逃げたわけだが、とうとう根負けした。
次の日曜日に、バイクに乗ってどこかへ行こうかと話した。
「いちごよ、忘れるなよ
今度はそれがSの口癖となった。

 

約束の日、Sは白いノースリーブに穴の空いたGパン、素足にサンダルで現れた。
「長袖にしろって言ったじゃないか」
「いちごが安全に走ればいい」
「本当は、そんな格好じゃ乗せない」
「これで来ちゃったもん、いいじゃない」

それで、海に行くことにした。
いつも海に行っていたようだが、事実、そうだったのだ。
つかまり方を教えて、走り出した。

Img_3521

CB750Fは前傾姿勢だから、後ろの体重が結構かかる。
が、背中に女の子を意識して緊張する感覚は、あまりない。
そういう意味では気楽である。

バイクは市街を抜けて、海に向かう丘陵地帯を走った。
「気持ちいいね」
「そうだろう」
「スピード出してみて」 

メーターの針が真上を指すぐらいまで出すと、Sが何か叫んだ。
かまわずに走ると、今度は私の背中を叩いた。

スピードを落とし、「なんだい」と聞くと
「風圧で息ができなかった」
私が笑うと、叩かれた。
「死ぬかと思ったわよ」

そんなふうに1時間ほど走って、海に着いた。
ヘルメットを脱ぐと、潮騒が聞こえた。

缶コーヒーを買って、浜辺の公園にあるログハウス風の建物へ行くことにした。
砂の上を歩き、中に入って海に向かって座った。

7月下旬の海岸は人もまばらで、北側に見える海の家は、開店準備をしていた。
水平線はくっきりとして、海の青と空の青が違うことを示していた。

Img_06862

「やっぱり気持ちいいね」
ノースリーブが風にはためき、髪が揺れた。
「暑いから、車で来ればよかった」
「ばか」
ここで、ナースという仕事のあれこれを聞いた。
多くの人と会って、色々な会話をして、それまで知らなかった世界を知り、様々な考え方を聞くのは面白いことだった。私は、これからもそうしようと思った。

 

海を眺めるというのはいいものだ。
色もいいし、何より、この雄大さがいい。
単調だが、飽きない。
海が嫌いだという人は、あまりいないだろう。
だから、「僕は海が好きでね・・・」としたり顔で言う男には、胡散臭いものを感じる。

 

 

Sが乗ったのはこの1回きりだ。
そのあと、特別仲良くなるわけでもなく、バイクの免許を取ったという話も聞かなかった。
徐々に、会うこともなくなってしまった。

 

当時よく聞いていたのが、この「カナリア諸島にて」を含むアルバムである。
松本隆作詞のこの曲は、1980年代の始め、リゾート地の夏の爽やかさを、多分、実物以上に素敵に伝えてくれた。

バイクもたくさん走っていて、未来に夢が見えた時代だった。

ナナハンライダーになりたての頃の話に、脚色を加えて。

| |

« 一本杉峠を往く | トップページ | ソニー・ロリンズ »

音楽にまつわる思い出話」カテゴリの記事

コメント

いや〜いろいろ遍歴があるわけですな・・・・
バイクそして・・・次は何でしょうか???
楽しみだな〜

投稿: わら | 2012年6月 8日 (金) 20時55分

わらさん、即コメありがとうございます。
これは事実ばかりではありません。

そこは勘違いなさらぬよう・・・(笑)。

投稿: いちご | 2012年6月 8日 (金) 21時06分

いつも思うのですが、いちごさんは作家さんのような素敵な文章書かれますよね
思わず読み入っちゃいました(笑)

続編楽しみにしてます(笑)

投稿: ぐー | 2012年6月 8日 (金) 21時10分

こんばんは。
SevenFiftyです。

>ナナハンライダーになりたての頃の話に、脚色を加えて
わたしがナナハンライダーになりたての頃は脚色を加えても、こんな話は無いですよ。
兎に角、若造でビンボーなので仕方なく中古のKawasakiの750SSを買いました。
中古相場でもCBやZより10万円以上安かったからです。
丁度そのころマッハⅢを借りて乗った良いけど、案の定マッハⅢに浴びせ倒しを喰らってヒデェー目に遭った情けない話くらいですよ。(あまりに情けなくて脚色も出来ない)

文章は苦手なのでいちごさんがうらやましい。

投稿: SevenFifty | 2012年6月 8日 (金) 21時47分

前略、文豪いちごさま(笑)
前記事といい、今回の記事といい、、、
脚色を加えているにせよ (・∀・)ニヤニヤ
ベースは実体験だと思いますから・・・(笑)
ホント、小説みたいです。読み手をその世界につれていってくれますね。

投稿: やんべ | 2012年6月 8日 (金) 22時21分

>「僕は海が好きでね・・・」としたり顔で言う男には、胡散臭いものを感じる。
ここ、妙に同感です♪(^^;)
こう感じるのは、女性だけじゃないんですね。

投稿: おくさん | 2012年6月 8日 (金) 22時27分

こんばんは。
カナリア諸島にて
表題見て、すぐ大滝か!?って食いつきました。(笑)
私、大滝大好きで今でも車でよく聞きます。
学生の頃、バンドでもコピーしました。なつかし~~!!
山下達郎、大滝詠一、伊藤銀次、杉真理などナイアガラ関係大好きでした。

投稿: グランCB | 2012年6月 9日 (土) 00時06分

作家ですな・・・
80年代を感じました。

17日は是非参加を・・・

投稿: koara | 2012年6月 9日 (土) 17時38分

大学入って1年金貯めて、夏にエリミネーターを買った事、金がなくて革なんて買えなくて、それでもRAM-Ⅲとジーパンとスニーカーで江ノ島鎌倉をほとんど毎日走っていた事。
後ろに乗せる奴も女の子もいなかったけど、あの夏は楽しかったなぁ。

これを読んでリアキャリアとシングルシートカウルを取り外したくなりました。
夏になスッキリしたZ1000が似合うと思ったのです。

投稿: ヨウ | 2012年6月10日 (日) 00時12分

>ぐーさん
ありがとうございます。
細部までこだわると、書くのに時間かかるんですよね(笑)。
明らかな続編はありません。

>SevenFiftyさん
>仕方なく中古のKawasakiの750SSを買いました。
仕方なくても、あのジャジャ馬ですか。
マッハⅢとは、500ccですよね。750より凄いとか・・・。

>やんべさん
ベースは実体験? 完全妄想かもしれませんよ。

>おくさん
昔からそう思ってるんです。
こんなこと言う男には要注意です(笑)。

>グランCBさん
私も、CDがすりきれるほど聞きました。今でも。
楽器は一切できませんが(笑)。
ナイアガラ、80年代サウンドですよね。

>koaraさん
17日、行きたいです。

>ヨウ君
あの頃いなくても、その後と今は、後ろに乗せる子はいるのでは?

投稿: いちご | 2012年6月10日 (日) 09時26分

>いちごさん
今はいませんよ。今後もどうでしょうね。いるといいなー。

あと、書き忘れましたが、大滝さんは小学校低学年の時によく聞きました。
改めて聞くと、あの頃とは全然印象が違いますね。
俺も年を取ったと感じます。

投稿: ヨウ | 2012年6月10日 (日) 16時32分

>ヨウ君
そうですか、失礼しました。
>小学校低学年
世代の違いを感じます(笑)。私は二十歳前後でした。

投稿: いちご | 2012年6月10日 (日) 17時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 一本杉峠を往く | トップページ | ソニー・ロリンズ »