カナリア諸島にて
「ねえ、バイクに乗せて」
そう言ったのは、ナースのSだった。
回りには人がたくさんいて、それが密やかに発せられたお願いでないことは明らかだった。
「ええ、おまえが」と私は言った。
今まで、意識したことのないSから、唐突に言われたからだ。
Sは、快活な性格で、笑うときは大声で笑う。髪はショートカット。
あまり女として意識しないというか、対等な関係で何でも言える。そんな間柄だった。
逡巡している私に、Sは続けた。
「いちごのはナナハンだよね。ナナハンに乗りたいの」
写真は1300です
「・・・」
「どうせ、乗せる人いないんでしょ。わたしが乗ってあげるから」
「あげるからって、そんなこと言われて乗せる必要はないさ」
「嘘よ。でも、バイクの免許を取りたいの。だから、どんなもんか知りたくて」
その場は逃げたが、Sは私の顔を見るたび繰り返し迫り、それは1ヶ月に及んだ。つまり1ヶ月逃げたわけだが、とうとう根負けした。
次の日曜日に、バイクに乗ってどこかへ行こうかと話した。
「いちごよ、忘れるなよ」
今度はそれがSの口癖となった。
約束の日、Sは白いノースリーブに穴の空いたGパン、素足にサンダルで現れた。
「長袖にしろって言ったじゃないか」
「いちごが安全に走ればいい」
「本当は、そんな格好じゃ乗せない」
「これで来ちゃったもん、いいじゃない」
それで、海に行くことにした。
いつも海に行っていたようだが、事実、そうだったのだ。
つかまり方を教えて、走り出した。
CB750Fは前傾姿勢だから、後ろの体重が結構かかる。
が、背中に女の子を意識して緊張する感覚は、あまりない。
そういう意味では気楽である。
バイクは市街を抜けて、海に向かう丘陵地帯を走った。
「気持ちいいね」
「そうだろう」
「スピード出してみて」
メーターの針が真上を指すぐらいまで出すと、Sが何か叫んだ。
かまわずに走ると、今度は私の背中を叩いた。
スピードを落とし、「なんだい」と聞くと
「風圧で息ができなかった」
私が笑うと、叩かれた。
「死ぬかと思ったわよ」
そんなふうに1時間ほど走って、海に着いた。
ヘルメットを脱ぐと、潮騒が聞こえた。
缶コーヒーを買って、浜辺の公園にあるログハウス風の建物へ行くことにした。
砂の上を歩き、中に入って海に向かって座った。
7月下旬の海岸は人もまばらで、北側に見える海の家は、開店準備をしていた。
水平線はくっきりとして、海の青と空の青が違うことを示していた。
「やっぱり気持ちいいね」
ノースリーブが風にはためき、髪が揺れた。
「暑いから、車で来ればよかった」
「ばか」
ここで、ナースという仕事のあれこれを聞いた。
多くの人と会って、色々な会話をして、それまで知らなかった世界を知り、様々な考え方を聞くのは面白いことだった。私は、これからもそうしようと思った。
海を眺めるというのはいいものだ。
色もいいし、何より、この雄大さがいい。
単調だが、飽きない。
海が嫌いだという人は、あまりいないだろう。
だから、「僕は海が好きでね・・・」としたり顔で言う男には、胡散臭いものを感じる。
Sが乗ったのはこの1回きりだ。
そのあと、特別仲良くなるわけでもなく、バイクの免許を取ったという話も聞かなかった。
徐々に、会うこともなくなってしまった。
当時よく聞いていたのが、この「カナリア諸島にて」を含むアルバムである。
松本隆作詞のこの曲は、1980年代の始め、リゾート地の夏の爽やかさを、多分、実物以上に素敵に伝えてくれた。
バイクもたくさん走っていて、未来に夢が見えた時代だった。
ナナハンライダーになりたての頃の話に、脚色を加えて。
| 固定リンク | 0
「音楽にまつわる思い出話」カテゴリの記事
- 湯豆腐(2020.12.12)
- フォーレ 夢のあとに(2018.03.29)
- はじまりはいつも…(2018.02.18)
- 大滝詠一の曲(2014.02.04)
- 竹内まりやの曲(2014.01.31)
コメント
いや〜いろいろ遍歴があるわけですな・・・・
バイクそして・・・次は何でしょうか???
楽しみだな〜
投稿: わら | 2012年6月 8日 (金) 20時55分
わらさん、即コメありがとうございます。
これは事実ばかりではありません。
そこは勘違いなさらぬよう・・・(笑)。
投稿: いちご | 2012年6月 8日 (金) 21時06分
いつも思うのですが、いちごさんは作家さんのような素敵な文章書かれますよね
思わず読み入っちゃいました(笑)
続編楽しみにしてます(笑)
投稿: ぐー | 2012年6月 8日 (金) 21時10分
こんばんは。
SevenFiftyです。
>ナナハンライダーになりたての頃の話に、脚色を加えて
わたしがナナハンライダーになりたての頃は脚色を加えても、こんな話は無いですよ。
兎に角、若造でビンボーなので仕方なく中古のKawasakiの750SSを買いました。
中古相場でもCBやZより10万円以上安かったからです。
丁度そのころマッハⅢを借りて乗った良いけど、案の定マッハⅢに浴びせ倒しを喰らってヒデェー目に遭った情けない話くらいですよ。(あまりに情けなくて脚色も出来ない)
文章は苦手なのでいちごさんがうらやましい。
投稿: SevenFifty | 2012年6月 8日 (金) 21時47分
前略、文豪いちごさま(笑)
前記事といい、今回の記事といい、、、
脚色を加えているにせよ (・∀・)ニヤニヤ
ベースは実体験だと思いますから・・・(笑)
ホント、小説みたいです。読み手をその世界につれていってくれますね。
投稿: やんべ | 2012年6月 8日 (金) 22時21分
>「僕は海が好きでね・・・」としたり顔で言う男には、胡散臭いものを感じる。
ここ、妙に同感です♪(^^;)
こう感じるのは、女性だけじゃないんですね。
投稿: おくさん | 2012年6月 8日 (金) 22時27分
こんばんは。
カナリア諸島にて
表題見て、すぐ大滝か!?って食いつきました。(笑)
私、大滝大好きで今でも車でよく聞きます。
学生の頃、バンドでもコピーしました。なつかし~~!!
山下達郎、大滝詠一、伊藤銀次、杉真理などナイアガラ関係大好きでした。
投稿: グランCB | 2012年6月 9日 (土) 00時06分
作家ですな・・・
80年代を感じました。
17日は是非参加を・・・
投稿: koara | 2012年6月 9日 (土) 17時38分
大学入って1年金貯めて、夏にエリミネーターを買った事、金がなくて革なんて買えなくて、それでもRAM-Ⅲとジーパンとスニーカーで江ノ島鎌倉をほとんど毎日走っていた事。
後ろに乗せる奴も女の子もいなかったけど、あの夏は楽しかったなぁ。
これを読んでリアキャリアとシングルシートカウルを取り外したくなりました。
夏になスッキリしたZ1000が似合うと思ったのです。
投稿: ヨウ | 2012年6月10日 (日) 00時12分
>ぐーさん
ありがとうございます。
細部までこだわると、書くのに時間かかるんですよね(笑)。
明らかな続編はありません。
>SevenFiftyさん
>仕方なく中古のKawasakiの750SSを買いました。
仕方なくても、あのジャジャ馬ですか。
マッハⅢとは、500ccですよね。750より凄いとか・・・。
>やんべさん
ベースは実体験? 完全妄想かもしれませんよ。
>おくさん
昔からそう思ってるんです。
こんなこと言う男には要注意です(笑)。
>グランCBさん
私も、CDがすりきれるほど聞きました。今でも。
楽器は一切できませんが(笑)。
ナイアガラ、80年代サウンドですよね。
>koaraさん
17日、行きたいです。
>ヨウ君
あの頃いなくても、その後と今は、後ろに乗せる子はいるのでは?
投稿: いちご | 2012年6月10日 (日) 09時26分
>いちごさん
今はいませんよ。今後もどうでしょうね。いるといいなー。
あと、書き忘れましたが、大滝さんは小学校低学年の時によく聞きました。
改めて聞くと、あの頃とは全然印象が違いますね。
俺も年を取ったと感じます。
投稿: ヨウ | 2012年6月10日 (日) 16時32分
>ヨウ君
そうですか、失礼しました。
>小学校低学年
世代の違いを感じます(笑)。私は二十歳前後でした。
投稿: いちご | 2012年6月10日 (日) 17時09分