野麦峠が止まらない
とタイトルを書いてみたものの、「峠が止まらない」などという変な日本語はないのであって、要は、野麦峠と野麦街道への熱が止まらないのだ。
小説「あゝ野麦峠」で描かれているのは、遠く飛騨や高山から野麦峠を越え、諏訪湖から岡谷一帯に糸引きに出た工女の物語である。内容に惹かれるのは、その悲劇性にもあるのだが、それがここ富山から日帰りで行ける場所にあるためである。
『こんな凄い話、一度自分の目で確かめてみようではないか。一度走ってみようではないか』と思うのだ。
ちらりと読んで分かったのは、工女たちが諏訪から飛騨地方へ歩いた「野麦街道」の一部は、今まで私が松本の帰り道に何度も通った国道158号線だったことである。松本から富山へ帰るときには、北へ向かって「重畳たる信飛国境の山々(小説の引用)」が見える。確かに、遙か前方には国境の山々が見え、たとえバイクであっても、そこを駆け上っていくことには一種の緊張を強いられる。
しかし、まさかあの急峻な山道を、しかも雪や吹雪の真冬に徒歩で帰ったとは・・・。梓川沿いには断崖絶壁の場所もある。
現時点で調べたところでは、諏訪湖の天竜川始点をスタートとして、政井みねさん(小説の主役の一人)のお墓がある飛騨市までのルートは、次のとおり。
これをそっくり、できればゆっくり、辿ってみたいと思う(地図では右から左へ)。バイクだけど。
もちろん、現在の野麦街道は、かつてのそれとはかなり違うだろう。明治時代にはなかったトンネルも多数できているに違いないし、道そのものも、おそらく半分以上は違うと思われる。
がそれでも、明治時代に生糸工場が林立していた諏訪湖畔、また工女の水○体が多く上がった天竜川始点あたりから見てみたいと思うのである。幸い、日帰りできる距離ではないか。ただし松本市にある資料館などは、別に時間を取って見ようと思う。
そして今日、頼んでおいた「続 あゝ野麦峠」が届いた。
読んで再び驚いた。ここ富山からも、多数の女工が海と陸を経由して、諏訪湖畔に糸引きに行っていたというではないか。
さらに驚愕したのは、
越中八尾の「越中おわら節」は、幸(さち)薄き糸引きたちの唯一の心の支えであった。
そもそも風の盆は二百十日厄日の平穏を祈る農民の祭であったが、これとともに今では命がけで野麦峠を越えていった越中娘たちを偲ぶ祭でもある。
の部分。
かつて岡谷市の祭ではこの哀調あふれる旋律も流れたそうで、筆者の綿密な調査による写真もある。
野麦峠の物語は、何と、富山とも非常に深い関わりがあるのであった。
野麦峠と野麦街道、これは研究に値します。くねくねあり、人と道に歴史あり。
ああ、早く行きたい。早く雪が溶けないかな。
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コメント
もうすっかり富山県民になってしまったんだね(笑)
イメージではバイクで走れるような道とは思って無かった
案内人が居ないと遭難しそうな獣道かと想像してたからね(汗)
古い町並みも期待できそう!
投稿: 黒麦街道 | 2020年3月13日 (金) 08時32分
>黒麦海道さん
いや、私は永遠に茨城県人です。
おっと、「黒麦街道」さんと「野麦街道」、1文字しか違いませんね。^^;
かつての野麦街道のほとんどは今や国道になっています。
そうでないところはもう100年以上誰も歩かず、原野になっているでしょう。わずかに峠頂上の一部が保存されているだけです。
古い街並みも探訪したいですね。
投稿: いちご | 2020年3月14日 (土) 01時35分
本当の野麦開度はどこなのでしょうね。
バイクで巡れる極限まで行くのも楽しいかもね。
また詳しいことは飲みながら決めましょうかね。
ポカポカ陽気が待ち遠しいですね。
投稿: かき | 2020年3月17日 (火) 11時32分
>かきさん
本当の野麦街道はあまり残っていないでしょうね。
一緒に行きましょう。
投稿: いちご | 2020年3月20日 (金) 16時48分