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2020年5月14日 (木)

永眠しました

4月18日(土)朝5時55分、彼は13年半の生涯を終えた。
永眠した、星になった、虹の橋を渡った、虹の橋のたもとにいる、表現はいくつかあるが、死んだのである。

彼はここ2週間ほど急速に痩せはじめていたから、私はある程度の覚悟はしていたし、その理由も分かっていた。
しかし彼がいなくなった今、もっと早く病院に連れていけなかったのか? そうすればもっと延命できたのではないか? という思いが頭から離れない。「生き甲斐」というほど可愛がっていたのに、なぜ最後の最後にできる限りの治療をしなかったのか? 
深夜、家の中で激しく鳴いたときもあった。彼が何を求めているかは分かっていた。しかし私は、
「こんなに痩せたら、もう駄目だろう」
勝手にそう決め込み、治療を諦めていたふしがある。今になって思えば、もっとできることはあったはずだ。後悔は繰り返し頭の中を巡り、日に日に強くなるばかりである。

 

生前撮った最後の写真  膝の上に上がる力がなくて引っ張り上げた

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しばらく、私と妻は動かなくなった彼の姿を見ていた。
「お前はいい猫だったよ」
私はそう言い、いつもそうしていたように、彼の頭と肉球を撫でた。

 

一番イケメンに撮れた写真

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気がつくと、朝の光がカーテンの隙間から部屋に差し込んでいた。一つの小さな命は消えてただけで、世の中は何一つ変わっていなかった。
彼の名前はジャム、オス。名前の由来は、シャムっぽい雑種だから。「シャムミックス」とも言うらしい。青い目、白い体毛と部分的に茶色の模様は、確かにシャムの血統を引いていた。
過去、これほど可愛がった猫はいなかった。まさに溺愛であった。目が青くて、健康で、デカくて、利口で、甘ったれで、人なつこくて、穏やかで、イケメンで、そしてどことなく人間臭い猫であった。

 

「お前は本当にいい猫だったよ」
そう語りかけながら、私は冷たくなり始めた脚を、頭を、体を撫でた。見れば、徐々に毛はしおれて、体はなお小さく見えた。
一回り小さくなった彼を見ていると、彼が私に示したいくつもの愛情が思い出された。
寒い冬の夜、布団にやってきたこと。いつもは気配だけで目が覚めるのだが、気づかないときもある。そういうとき彼は、ヒゲ先で顔をくすぐるのだ。それでも起きないときは、冷たい鼻先を顔に押しつける。
猫を抱えて寝るのはいいものである。温かく、しなやかで、小さくて、愛らしい存在が隣で寝ているということほど、安眠できるものはない。
丸一日ぐらい留守にして帰ってきたとき、彼はしばらく大声で鳴いて足元にからみついたあと、私の足首に思い切り噛みついた。それは
「淋しかったぞ、このボケ」と言っているようで、何のかけひきも取引もない、ストレートな愛情表現であった。
思春期には13日間失踪したこともある。7日くらい経った時、家族の誰もが諦めた。
彼がよく寝ていたソファ、えさ箱を見ながら、皆、もう会えないと思い、青い目を思い出し、その愛らしさを懐かしんだ。
しかし彼は13日目に帰ってきた。
家族が狂喜したのも束の間、彼は窮屈な風呂の格子から再び脱走した。しかし逃走はそこまでであった。翌日、彼は動物病院で麻酔をかけられた。
2年前に妻と共に富山にやってきてからは、一緒に車に乗って茨城に帰省した。最初はケージに入れていたが、あまりに暴れるので、2回目以降は出してみた。するとこれが快適だったらしく、妻の腕に抱かれて気持ちよさそうに寝ていた。彼は旅する猫になった。
彼のためにだけに往復1,000kmの高速をバイクで走ったことも、2回ある。この時所用で妻が1週間自宅を離れるため、彼は妻の実家に預けられていた。それを不憫に思った私は、1日でも早く自宅に帰してあげようと、高速を飛ばしたのである。

彼は、もういない。
しかし、この13年間は、私にとってかけがえのない財産であり記憶である。いなくなっても、その姿は私の中で永遠に生き続けている。
ここ数年の彼は、私や妻の胸から左肩にかけて乗るのが好きであった。そうしてよじ登ってくると、こちらは両手でおしりを抱える。すると彼は安心したように両手を人の肩に乗せて力を抜き、気持ちよさそうに目を閉じてゴロゴロを始めた。エジプトのスフィンクスを斜めに肩に乗せているような格好である。
それは、言いようのない幸福感を感じさせた。
ほどよい重量感、温かさ、柔らかい毛の感触、こそばゆいヒゲ、肉球の愛らしさ! 頭や背中を撫でると、骨と耳を伝わってくるゴロゴロの音色が強くなる。横を向くと気持ち良さそうに目を閉じ、体を委ねている。あごを撫でると一瞬頭を上げるが、すぐにけだるそうに小さい顎を肩に乗せた。
言葉は通じなくても、心は通じている。この時間こそ、種は違っていても、彼と過ごした最も濃密な時間のひとつに違いなかった。

 

 

・・・・・・。
翌日の午後、彼は荼毘に付された。
私と妻は、たくさんの花で彼の白い体を包んでやった。我々に可能な愛情表現は、これが最後であった。私は頭を撫で、手を握り、別れを告げた。
外に出ると、空一面には灰白色の雲が広がっていた。物音一つしない、静かな田園地帯である。煙突のかげろうを確かめたあと、私は付近をあてもなく歩いた。土手には散りかけの桜の木が1本、風に吹かれていた・・・。

彼は無言で帰宅した。借家の家は、火が消えたように静かになった。
いなくなると、改めてその存在の大きさが胸に迫ってくる。子ども2人が巣立ったあと、彼は子どもそのものと言ってよかった。いや、子ども以上に違いなかった。家の空間は、静かで、空虚で、味気なく、冷ややかで、悲しいものに変化した。あれこれと集めた猫グッズは、もはや彼がいないことを突きつける悲しみの道具に変わってしまった。

 

まもなく、1ヶ月が経つ。彼の魂は今、故郷の大地を自由に逍遙しているのであろうか。天気がいいとき、彼は庭の一角で箱座りをして目を細めていた。小さい塀の内側、表から見えにくい場所がお気に入りであった。遺骨は、私が富山勤務を終えたときに自宅に持ち帰り、その場所に埋めるつもりでいる。そしていつか、私が虹の橋を通りかかったら、私の胸に飛びついてもらうことを願っている。

 

最も本物に近い写真

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コメント

文面からもその溺愛ぶりが伺えます
大きな反抗期もなく実子以上に可愛いもんです
13年かぁ、平均寿命まで経たずに亡くなったのは残念
茨城に戻り落ち着くまでは長生きして欲しかった
何か他に病気でも有ったのだろうか?

家の駄犬が永眠して11年
まだ遺骨もそのままだしペットロスからも脱してない(涙)

投稿: ぼっち | 2020年5月15日 (金) 07時56分

寂しくなりましたね。

幸せだったと思います。

投稿: 片田舎動物病院 | 2020年5月15日 (金) 08時15分

本当にさみしい限りですね。
ずっと愛情を注いできたまた注いでくれた最愛の猫でしたね。
しばらくは心にぽっかり穴があいたことでしょうね。
いつもの場所に面影を感じることもあるでしょうね。
でも猫ちゃんもいちごさんに飼われて幸せだったと思います。
さみしいとは思いますが徐々に乗り越えてください。
また新しい出会いもあるかもしれませんね。

投稿: かき | 2020年5月15日 (金) 10時10分

>ぼっちさん
ありがとうございます。
11年でもペットロスとは・・・先行き不安です。
実は病気もありまして・・・。
一時期自由飼いをしていたので、その頃にもらったと思われます。
まぁこれもバイクに乗るのと同じで、危険であっても外の世界を知ったことの良し悪しです。

投稿: いちご | 2020年5月15日 (金) 20時54分

>片田舎動物病院さん
ありがとうございます。
幸せだったと思ってくれれば本望です。

投稿: いちご | 2020年5月15日 (金) 20時55分

>かきさん
さびしさの極みです。
またそっくりな猫を飼いたい気分です。

投稿: いちご | 2020年5月15日 (金) 20時56分

 寂しくなられましたね。我が家にも娘が16年前に拾ってきた猫がいて、血尿が出るので診てもらった膀胱がんでした。手術に耐える体力が無さそうなので、このまま最後まで見届ける予定です。猫って歳を取ると甘えるようになるそうですので、いちごさんの猫もそうだったのでしょうか。大事に飼われていたのが伝わる写真ですね。

投稿: たけ | 2020年5月26日 (火) 21時27分

>たけさん
ありがとうございます。
確かに晩年はよく甘えるようになりました。
猫さんとの時間、大切に過ごしてください。今は懐かしくて仕方がありません。

投稿: いちご | 2020年5月26日 (火) 23時41分

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