小説「あゝ野麦峠」の舞台を訪ねるツーリング 第1回
冬に小説「あゝ野麦峠」を読んで感銘を受けて以来、その舞台を訪ねようと思っていました。昨夜の天気予報を見て、行こうと突然決めて今日は朝6時に起きました。
しかし「続あゝ野麦峠」にあるように、スタートは富山県の越中八尾から新潟、ゴールは長野県諏訪湖畔や岡谷市まで小説の舞台を一気に走ることなどできません。なので今回は、富山から近い飛騨市に絞りました。
「あゝ野麦峠」 +「 飛騨市」とくれば、答は「政井みね」さん(以下敬称略)です。まぁ読まないと分かりませんよね。「あゝ野麦峠」の主人公は広く工女全般とも言えるのですが、その前半で悲劇的に語られる主役が、現飛騨市河合町角川生まれの政井みねです。
7時、「ナビの設定を《距離優先》にして出発しました。
ナビはなぜか、「越中八尾」を経由し、「利賀村水無」を経由し、旧道だかの国道472、471号線を山の中へ案内するではありませんか。いずれも小説に出てきた場所です。しかし走るほどに山は深くなり道は狭くなり、ぐんぐん淋しくなってきました。気がつけば、Uターンもできないほどの崖っぷちの道を延々と走っているのです。
それでも途中、乗鞍岳(たぶん)《訂正します、御嶽山でした》が見える絶景が1箇所ありました。作者はこのあたりの地形についてこう書いています。
「えんえんと連なる峠道は、暗い女工哀史のイメージではなく、むしろ中央アジアのカラコルムか、天山山脈あたりを越えていくシルクロードを思わせる」
スマホ撮影。デジイチ持ってこなかったのを後悔。
気を引き締めて走り続けます。道路の幅は車1台、山側は「落石注意」、谷側は「路肩注意」の看板、ガードレールなしの断崖絶壁、浮き砂、わき水、苔、ダート、たまに対向車、落差のすごい超ヘアピンカーブ。この酷道472、471号線、もう二度と走りたくありません。
Google Street View から。断崖に道を1本刻んだような地形です。この場所などまだいいほうで、日が照らない箇所は路面に苔。
写真は時間順ではありませんが、これで国道? いや酷道と言うにも凄すぎます。
途中で1箇所だけあった休憩ポイント。
スマホは「圏外」なので、コケたり何かあったりしたら、たま~に通る渓流釣りか山菜採りの人を待つしかありません。
いやー、広い道に出るまで1時間以上。何ごともなくてよかった。
酷道を下りると、目的の専勝寺はすぐにありました。ここに政井みねの墓があります。
では参りましょう。
一人、静かに手を合わせました。おそらく「あゝ野麦峠」の多くの読者が訪れていることでしょう。
墓誌に書いてありますが、亡くなったのは明治42年11月21日、兄の辰二郎が墓を建立したのは昭和34年4月ですから、その間約50年。かなり苦労して建てたことが伺えます。
これも辰二郎が建立した親鸞聖人像。
美人、百円工女(優秀な稼ぎだった)と呼ばれた政井みね 唯一の写真 (ネットから拝借しました)
では次の目的地に参りましょう。飛騨の工女たちが諏訪や岡谷へ向かうとき、飛騨市に集まって最初に泊まった宿《八ツ三館》(やつさんかん)です。専勝寺から12kmほどの場所にあります。
現在、八ツ三館は高級旅館として営業を続けています(HPはこちら)。が、他県ナンバーを目の敵にしている輩がどこにいるか分かりません。バイクを離れるのが嫌なので、そそくさと写真を撮りました。
正面
遠景
また八ツ三館から数十メートル離れたところには、工女像があります。これも見てきましたが、意外に小さいです。
野麦峠
二月もなかばを過ぎると
信州のキカヤに向かう娘たちが
ぞくぞくと古川の町へ
集まって来ます
みんな髪は桃割れに
風呂敷包みをけさかけにして
「トッツァマ、カカア達者でナ」
それはまるで楽しい遠足にでも
出掛けるように元気に出発して
行くのでございます 小説の一部
「野麦峠を越えた娘達は十二歳だった」
明治の頃は今より栄養状態が良くなかったので、12歳は現代の8歳の体格だそうです。
念願だった見学もでき、よいツーリングとなりました。ヒヤリハットはなかったものの、前半は怖かった。
何も食べずに午後1時、腹ぺこで帰宅しました。
第2回目は、野麦峠から諏訪湖、できれば岡谷あたりまで【野麦街道】を走り、できれば遊歩道になっている旧野麦街道も歩きたいと思います。
第3回目は、野麦峠の「峠の資料館 野麦峠の館」、諏訪湖に現存する工女ゆかりの施設、松本市の「歴史の里」などを見学したいと思っています。
さて、いつになるやら・・・
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コメント
昨日は天気も良く暑くもなくいい感じでしたね。
念願の野麦街道の一部も行けて良かったですね。
R471or472はオフ車で走るルートですよ。
私は以前CRMで行きましたがCBではキツイルートです。
よく頑張ってそれもソロで行ってきましたね。
たぶんもうそこは走らないと思いますよね。
この後の野麦街道いつになるかはわかりませんが
楽しみになりましたね。
タイミングが合えばお供できればと思います。
投稿: かき | 2020年6月 8日 (月) 09時21分
歴史文学のシリーズ化?
二度と走りたくない国道はまさに酷道
たまにとは言え対向車では逃げ道が有りません
アスファルト舗装なのに苔どころか雑草生えてますよ
国道(471・472)が重なる道くらいセンターラインが引ける幅が欲しいね
俺の燃費が悪いCBじゃ携行缶がないと走れなさそうだわ(涙)
投稿: ぼっち | 2020年6月 8日 (月) 13時02分
よくあの道をでかいCBで走りましたね。私は以前オフ車に乗っていた時に走ったことがありますが、けっこう緊張しました。
最後の2枚の写真は国道361号でしょうか?
あとの2回は梅雨明けになりそうですね?楽しみにしています。
投稿: たけ | 2020年6月 8日 (月) 21時01分
>かきさん
R471,472は確かにオフ車ルートですね。
CBではきついろころか、無謀でした。二度と走りたくありません。
野麦街道はご一緒できるといいですね。弾丸ではありませんよ。
投稿: いちご | 2020年6月 8日 (月) 23時15分
>ぼっちさん
シリーズ化にはならないでしょう。この本だけだと思います。
たまに対向車とすれ違いましたが、どれも運良く広い場所でした。
走りながら「ここで向うから来たら終わりじゃ」と考えたり。^^;
>俺の燃費が悪いCBじゃ携行缶
はて、ぼっちさんのCBとは1300でした?
私のは平均リッター20から22です。
投稿: いちご | 2020年6月 8日 (月) 23時21分
>たけさん
今日になって思い出しながら、あの道をよく行ったものだと思います。
戻る道幅もなし、今走ってきた悪路をまた走るのも嫌だと思いながら走りきってしまいました。^^;
最後の2枚は国道60号線です。「西忍橋」で検索すると場所が分かると思います。
あとの2回はたぶん梅雨明けです。もしよろしければ、射水市のかきさんと3人で。^^;
投稿: いちご | 2020年6月 8日 (月) 23時26分
皆さん仰るように あの道を よく大きな車格のCB1300で行きましたね
道は狭いし 濡れたコケは滑るし 勾配の大きなカーブでコケたら一人でバイク起こすのは大変
しかもガードレールもない谷側は奈落
でも 野麦峠の歴史めぐりのテーマは良いです
楽しく拝見
写真の山はカタチ的には御岳山なんですが 遠景なので私も自信なし
投稿: 万年NA | 2020年6月 9日 (火) 07時36分
>万年NAさん
はい、CB1300で行きました。
途中、何度戻ろうと思ったことか。
でも対向車がくるたび、「まだ行ける」と考え、走破してしまいました(冷汗)。
雨上がりでなかったのが幸いですね。コケ含め、ヒヤリハットはゼロでした。
勾配差のあるカーブか恐怖でしたね。
なお調べたところ、ご指摘のとおり御嶽山でした(本文訂正しました)。
投稿: いちご | 2020年6月 9日 (火) 19時20分
同じ日に471を通ったんですね。
ノークラッチバイクは
楽でした。
投稿: 片田舎動物病院 | 2020年6月11日 (木) 08時14分
>片田舎動物病院さん
そのようですね。
私も片田舎動物病院さんのブログを見てびっくりしました。
この区間、左手が痛くなりました。
投稿: いちご | 2020年6月12日 (金) 00時08分