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2020年11月27日 (金)

ある美女の死

11月16日未明、ある女性が亡くなった。30代後半、病死であった。

彼女と初めて会ったのは今から25年ほど前で、彼女は中学生であった。まだ幼く、垢抜けない風貌の彼女は、部活の吹奏楽部でトランペットと格闘していた。
「吹くのが大変ではないの?」
という私の問いに、
「そうなんです。部活で吹いているだけで、頬の筋肉が疲れて顔が痛くなっちゃう」
と彼女は言い、笑った。

次に会ったのは、彼女が就職してからであった。見違えるほど美しくなった彼女を見て、私は目を見張った。妻も同様に、
「あんなに綺麗になっちゃって、もう~びっくりしたわ」
と言ったものである。

3度目に会ったのは、彼女の結婚式であった。白いウェディングドレスを着た彼女は前にもまして美しく輝き、誰もが見とれ、嘆息をもらした。

男たちのほとんどは、祝福と賛辞、羨望といくらかの嫉妬が混じった視線を新郎に向けたのである。

 

しかし結婚生活は長くは続かなかった。1年ほどで離婚し、彼女は実家に戻った。そして個人事業主となり、新たな仕事を始めたようであったが、それも2,3年でやめてしまった。
彼女に再び会ったのは、その頃である。我が家にもたまに顔を見せた。少し痩せて色白の肌はさらに白くなり、雨後の月のように白々とした顔は凜とした美しさを湛えていたが、その白さの下には翳があるように感じられた。それは今だから思うことであろうか。

それから4,5年経ち、彼女が病気療養中であるとの話を聞いた。闘病は長く続いたが、彼女は耐えた。つい最近は抗がん剤ですっかり髪の毛が抜け落ちた写真を見たが、それでも表情は明るく、母親は
「生来明るいのでよかったです。病気もこの調子で克服できると信じて闘っています」
と言った。
しかし彼女は逝ってしまった。若くして永眠した美しい彼女を見送ろうと、たくさんの人が集まった。よく晴れた昼下がり、祭壇の遺影は、誰もが知っている、彼女が元気だった頃の表情で、参列者に向かって微笑みかけていた。

親が言うとおり、彼女は本当に明るい心で闘病していたのだろうか。親の前でだけ明るい顔をしていたのかもしれない。人は誰でも、他人には決して見せない貌があるのだ。一人のときは泣いていたのかもしれぬ。それは誰にも分からないが、私はそんな想像をする。
彼女は我が家に来たときは、今は亡き我が家の猫とよく遊んでいた。今は虹の橋のたもとで、猫と戯れているのかもしれない。私がそこへ行くまで、可能なら猫の遊び相手をしていてほしいと思うのである。

 

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