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2020年12月12日 (土)

湯豆腐

最近寒くなってきたのと、ダイエットを兼ねて、たまに湯豆腐を食べている。鍋に豆腐と白菜を入れ、別皿にポン酢と刻みネギを用意し、酒を飲みながら湯豆腐を食べる。すぐ腹一杯になるが、1時間もすると空腹になる。豆腐はカロリーも少ないからまあ当然であろう。

そうして豆腐をすくっていると、はるか昔、母親が作っていた湯豆腐を思い出したのである。
母親は田舎の農婦で、また現在ほど情報の豊かな時代ではないから、料理は自己流か、テレビの料理番組か、どこかで聞いてきて作るのであろう。その湯豆腐には、豆腐しか入っていなかった。
また湯豆腐は夕飯のおかずに出ることはなく、当時工場に勤めていた父の夜勤帰りの酒の肴にだけ提供された。父は深夜2時に帰ってくるのだが、その時刻に作り始めるのは面倒だと見えて、いつも母は22時頃に作ってから仮眠し、父が帰ってくる直前に起きて温めなおしていた。しかし、いつも長時間煮てしまうため、切った豆腐には「巣」が入って固くなり、2,3個がつながっていた。

 

写真はWEBから拝借しました

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そして豆腐を入れたアルミ製の鍋の中央には、縦長の湯飲み茶碗が置かれ、中には醤油と刻みネギが入っていた。箸で豆腐を取り、その醤油の中に浸して食べるのである。豆腐は入れにくいように思えるが、固くなっているので上手く入ったようである。
中学だったか高校だったか、勉強をしていてたまにその時刻まで起きていた私は、茶の間に行って深夜の話に加わった。

しかし父は、酒癖の悪い男であった。酒を飲む様子を見ていると、ある量を境に表情が豹変する。目がすわって陰険になり、口の両端が下がる。そして会話する相手の言葉尻をとらえてからんでくる。普段は至って温厚なので、その豹変ぶりは毎日一緒に暮す家族にとって、不可解かつ恐怖の対象であった。それでも昭和一桁生まれの女は、炬燵の傍で黙って話を聞いていた。だが酒癖が悪いというのは実にたちが悪いもので、話し相手が黙っていると、「何が不愉快で黙っているのか!」とくるのだ。

幼いころは、父親が酒を飲んで帰ってくる日は、すべからく嫌な日であった。例えば村の結婚式、葬式、ムラの行事などは、子どもにとっては嫌な日でしかなかった(昭和の農村地帯ではほとんどの冠婚葬祭を自宅で行った)。そんな日、酒癖の悪さは炸裂した。まず母に喧嘩をふっかけて夫婦喧嘩が始まり、次にモノが飛んで家の中に食べ物が散らばった。最後には母親が裏山などに隠れていなくなった。だが母がいなくなる真の理由は父を恐れてではなく、そんな程度の低い男に馬鹿馬鹿しくてつきあっていられないからであって、半ば諦観していたようである。
大変なのは翌朝であった。畳に散らばった食べ物を始末し、こぼれた醤油などを拭き取る。そんなとき、母は涙を流しながら拭いていた。
・・・・・・とくれば昭和の哀話になるのだろうが、そんなことは全くなく、母は強い女であった。愚痴ひとつ言わず黙って片付けをし、何ごともなかったかのように朝食を作って子どもたちを送り出した。昭和一桁生まれの、強い女であった。
あるいは、「お前の父はあんな酒癖の悪い男だけれど、お前が何ごともなく学校に行けているのは、父のおかげなのだよ」と言っていたのかもしれない。母が私に愚痴をこぼしたのは、私が二十歳をすぎてからであった。
それにしても、酒癖の悪さは、私には未だに理解できない。楽しく飲めばいいものを、なぜ自分から不愉快な場にしてしまうのか。ちゃぶ台返しは何度も見た。炊飯器が宙を飛んだこともある。さすがに刃傷沙汰はなかったけれど。

やがて歳月が経ち、子どもは大人になった。
中学、高校となると、「ああ、また始まったな」
と、冷めた目で見る余裕ができてくる。あれは確か20才の頃だったろう、酔ってくだを巻いていた父にむかって、私は怒鳴りつけた。あまりの程度の低さと、父親としての情けない姿に腹が立ったのである。
その日を境に、父の酒癖の悪さは影を潜めた。はっきりそうだとは言えないが、そんな気がしている。

母が亡くなってもう20年、父が亡くなってまもなく10年になる。
冷めてきた豆腐をすくいながら、母親が生きていたら、「湯豆腐には白菜も入れて、ポン酢で食べるとなお美味いよ」と教えてあげたいと思うのである。

 

ワーグナー 歌劇「トリスタンとイゾルデ」から《前奏曲と愛の死》

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コメント

文芸作品のような内容でしたが、
私たち世代には珍しくない、
当たり前の家庭風景だったと拝見しました。

働きだしたころ僅かに居た、
酒を飲んで大声を出す・暴れる人、
最近は全く見なくなりました。

まさしく「昭和」が遠くなりましたね。


投稿: 片田舎動物病院 | 2020年12月15日 (火) 07時54分

>片田舎動物病院さん
当たり前の家庭風景でしたか。我が家だけかと思っていましたが。
昭和が終わってもう30年以上が経ちますね。

投稿: いちご | 2020年12月16日 (水) 00時21分

私の父は私が10歳の時に事故で無くなりました。
いつもは夜勤を終えて家でお酒を呑んで静かに寝ていました。
いつもはおとなしい父でしたが一回だけ大暴れしました。
其時家にあったレコードプレイヤーを床に投げつけ破壊しました。
起きてから「これは誰がやったのか」と。
母が切れ気味に「あんたが暴れてやったんじゃないの」と。
いつも優しい父がその日だけは大暴れしたのが懐かしい思い出です。
会社で嫌なことでもあったんでしょうね。
そんな時私たち子供が寝ている横で騒いでいて煩わしかったのでしょうね。
ちょっと父には申し訳ない気がしていましたね。
そんな思い出が甦ってきました。
昭和の父親、母親像がそこにあった気がします。
関係ないことを書いてすみません。

投稿: かき | 2020年12月16日 (水) 11時29分

>かきさん
10才のときに事故とは悲しいですね。
皆さん、いろんなことがあったのですね。
昭和らしい話を聞くこともなくなりました。

投稿: いちご | 2020年12月16日 (水) 19時43分

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