音楽にまつわる思い出話

クラシックからJ-POPまで、音楽にまつわる思い出を虚実織り交ぜて書く

2020年12月12日 (土)

湯豆腐

最近寒くなってきたのと、ダイエットを兼ねて、たまに湯豆腐を食べている。鍋に豆腐と白菜を入れ、別皿にポン酢と刻みネギを用意し、酒を飲みながら湯豆腐を食べる。すぐ腹一杯になるが、1時間もすると空腹になる。豆腐はカロリーも少ないからまあ当然であろう。

そうして豆腐をすくっていると、はるか昔、母親が作っていた湯豆腐を思い出したのである。
母親は田舎の農婦で、また現在ほど情報の豊かな時代ではないから、料理は自己流か、テレビの料理番組か、どこかで聞いてきて作るのであろう。その湯豆腐には、豆腐しか入っていなかった。
また湯豆腐は夕飯のおかずに出ることはなく、当時工場に勤めていた父の夜勤帰りの酒の肴にだけ提供された。父は深夜2時に帰ってくるのだが、その時刻に作り始めるのは面倒だと見えて、いつも母は22時頃に作ってから仮眠し、父が帰ってくる直前に起きて温めなおしていた。しかし、いつも長時間煮てしまうため、切った豆腐には「巣」が入って固くなり、2,3個がつながっていた。

 

写真はWEBから拝借しました

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2018年3月29日 (木)

フォーレ 夢のあとに

某SNSの某グループに投稿したものが評判よかったので、ここでもUPします。

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私が生まれたのは、古い、古い農家である。

築100年以上は経っていたらしい。外から正面を見ると、視界の上半分はところどころ苔が生えたかやぶき屋根で、下の半分は木戸と、茶色に汚れた白壁である。
正面真ん中にある重い木戸を開けると、中は真っ暗というよりは真っ黒だった。土間にある「かまど」から長年出た煙で、全ての柱と梁がすすけていたからだ。
50坪ある平屋の半分は、農作業のための土間だった。

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2018年2月18日 (日)

はじまりはいつも…

私は20代の頃塾講師のアルバイトをしていたが、いつも、遅れてくる女子高生がいた。彼女の名前は忘れてしまったが、姓は塚本(仮名)と言った。

塾まで常磐線の駅1つ乗ってくるのだが、週1回、私が担当していた日は、部活か何かがあったのだろう、毎回10分くらい遅れてやってきた。
 
しかし彼女はいわゆる小太りだったせいか、常に汗を拭きながら入ってきて、一番前の席に座って、さらにしばらく汗を拭くのだった。 
今で言う「いじられキャラ」で、彼女を取り巻いていつも笑いが起きていた。
 
その日は蒸し暑い雨が降っていて、彼女はいつもより大汗をかいて入ってきた。
その様子を見て、若かった私は思わず言ってしまった。
途端に、教室は爆笑に包まれた。

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2014年2月 4日 (火)

大滝詠一の曲

大学時代のある夏休み、私は地元の市民プールで監視のバイトをしていた。

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そこに1才年下のSがいた。彼は東京のアパートに住む私大生で、夏休みだからと地元に帰省していた。バイトには私よりあとから来たが、全身綺麗に焼けた彼は、目を輝かせて言った。

「僕はウィンドサーフィンやってるんです」
「ふうん」
「通学でも、電車内でも、真冬でも、ビーチサンダル履いてるんです」
「ふうん。でもなぜ?」
「サーファーだからです」
「つまりそれは、自分がサーファーであることのアイデンティティ証明というわけかい」
「そういうわけでもないけど、まあ、そんなところです。それに、海が好きなんです」
「ふうん」

彼の後ろにはプールがあり、真夏の太陽が水面に揺らいでいた。

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2014年1月31日 (金)

竹内まりやの曲

いやぁ、ネタがねぇなぁ
そこで、無理やりひねり出してみる。題して、竹内まりやの曲について。

彼女は慶應大学在学中から歌い始め、その頃『戻っておいで・私の時間』などをリリースしたそうである。がどうも、結婚前の曲は、『September』にしても『不思議なピーチパイ』にしても、聞いていてちょっと恥ずかしくなってしまうのが多い。

でも、そうでないのもあって、それは『象牙海岸』とか『涙のワンサイデッド・ラブ』である。前者は、絵画的な詩がいいなぁと思ったら、松本隆の作であったか。

そして結婚後に発売されたのが、1984年発売の『VARIETY』だ。これはCDだったかレコードだったかをレンタルして、車用のカセットテープを作り、テープが伸びるほど聞いた。事実テープは伸びてしまい、2本作った記憶がある。

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2013年7月 3日 (水)

夜の糸車

1970年代の昔。小僧たちの憧れは、ラジカセだった。

私もご多聞にもれず、買ってもらった。今の30代以下、いや40代前半の方でも分からないかもしれないが    そう書くと齢がバレてしまうのだが   ラジカセとは、ラジオとカセットテープ再生装置を合わせた家電製品である。

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大きさは、A4サイズが入るバッグを一回り小さくして、厚みを増やしたぐらいだろうか。左にカセットテープ(これももはや死語だ)、右にモノラルスピーカーがあり、マイクを装着し、ラジオや外部の音をカセットテープに録音できた。乾電池を入れれば、持ち運びができた。
下級機はAMラジオのみ、上級機はFMも受信でき、また短波放送を受信できるのもあった。

そんな時代、富山敬氏がDJを務める「BCLジョッキー」なるラジオ番組もあって、マニアックな小僧たちの耳目を集めていた(そんな経緯から、私にとって氏は、声優というよりDJである)。

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2013年5月17日 (金)

Pastoral

「最近、よく眠れないの」
そう言ったのは、Yだった。

「じゃあ、寝る前に何か音楽を聞くといい」
私は電話口で、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を聞かせてみた。

「こういうのじゃないわ。ピアノがいい」
「じゃあ、深遠なベートーヴェンはどうだい?」
「寝る前には重すぎるわ」
「では、ショパンは?」
「クラシックはあまり聞いたことがないから」
「そうか・・・」

そこで私は、中村由利子さんのCD「Interludes 時の花束」を貸してみた。いわゆる「ニューエイジミュージック」に分類される音楽である。

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2013年4月24日 (水)

1本の音楽

どうも私は性格がひねくれているのか、好みが世のMajorityと違っているようで    それ故変人扱いされがちなのだが    姫神のように、あまり人の知らない音楽を好むようである(姫神を知っている人が少なくて驚いた)。

それは他には、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」はブルーノ・レオナルド・ゲルバーというアルゼンチン人ピアニストが弾いたのが一番いいと思っていたり、プッチーニのオペラ「ボエーム」は、トゥリオ・セラフィンが指揮した1960年代のものが歴史的名盤だと思っていたり、「パッヘルベルのカノン」はルイ・オーリアコンブというフランス人指揮者による演奏こそ最高のカノンだと思っていることである。

 

でもまぁ実を言えば、どれも、知る人ぞ知るアーティストなのであるが、あまり有名ではない、メジャーになれなかった、歴史に埋もれようとしているという類のものでもある。
別な言い方をすれば、「優れているけど、有名でない」のだ。 

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この村田和人も、音楽そのものは抜群にいいのだが、そんな範疇に属するかもしれない。

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2013年2月24日 (日)

卒業写真

「いちごさん、わたし、困ってるんです。助けてください」

そう言ったのは、女子高の卒業を間近に控えたTだった。
彼女は、面長の顔に、三つ編みの髪を左右に垂らしていた。我々の年代で分かりやすく言えば、「魔法使いサ○ー」に出てくる「花村よし子」を日焼けさせた感じである。
聞けば、卒業文集に載せる原稿を頼まれたのだが、どう書いていいか分からず、途方に暮れているのだという。

私は言った。
「普通に、自分で書けばいいじゃない」
「そんなこと言われても、自信がないんです。国語の成績悪いし」
「で、なぜそこで話を俺に振ってくるの?」
「代わりに書いてほしいんです」

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2013年2月 7日 (木)

幽霊の正体見たり

昔。

ある4階建てのビルで仕事をしていた。そのビルは、全フロアともその会社である。

年末の締め切り間近で、1人帰り、2人帰り、とうとう最後の1人になってしまった。私の席は玄関がよく見える位置にあったから、誰か来ればすぐ気づいたし、その日も、2階から上にはもう人はいないのを知っていた。
最後の1人が帰ったあと、防犯上玄関の鍵を閉め、私は外からあまり見えないようにして1人続けた。

30分ぐらいして電話が鳴った。

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